シリア:国旗をめぐる大混乱

この記事は、シリア騒乱2011/12 特集の一部です。

反政府勢力が抵抗の象徴として別の旗を採用したことをきっかけにして、シリア国旗をめぐる論争が始まった。現在のシリア国旗 をソーシャルメディアのプロフィールに用いている政府支持者と、1932年に初めて使われ、フランスの委任統治後にシリアが独立した際の国旗であった旗を掲げる反体制派の間での議論だ。

Dahnon のブログで、 Khaled Mashriki は次のように考察している。

بين تسميتي علم الاستقلال وعلم الانتداب، تبرز واحدة من أهم نقاط الخلاف السوري السوري كإحدى “الحقائق” المتنازع عليها بين السوريين ضمن جدلية (الوطنية – الخيانة) المتكرسة في فكر وثقافة الملايين منهم (أي السوريين) اليوم.
『独立旗』と『委任統治の旗』という呼び名の間から、シリア人同士の紛争の主要な争点の一つが見える。シリア人の愛国心と反逆についての論争の中ではしばしば何が「事実」なのかが争点となるが、この国旗をめぐる議論においても、今日の数百万人のシリア人の思考や文化に埋め込まれている「事実」が何なのかが争点になっている。

Mashriki は付け加える。:

لايُعلم تماما متى حمل أول متظاهر العلم الأخضر، لكنه حُمل رسمياً لأول مرة في في الحراك السوري في أنطاليا بتركيا من قبل بعض المشاركين في أول مؤتمر لبعض المعارضة بتاريخ 01-06-2011. مؤتمر أثار من الجدل ماأثار ولم تحضره المعارضة في الداخل كما قاطعه كثيرون من معارضة الخارج من بينهم برهان غليون نفسه، فيما حضره الإخوان المسلمون بصفة مراقب، قبل أن يعقدوا في اليوم التالي مؤتمرا دعوا إليه هم أنفسهم في بروكسل.
反体制派がいつあの緑の旗を持ちだしてきたのか正確にはわからない。しかし、公の場で掲げられたのは、トルコのアンタルヤで行われたシリア人の運動においてだったのはわかっている。旗を掲げたのは、2011年6月1日の反対派による初の会議に参加していた者たちだ。その会議は物議をかもすものだった。ムスリム同胞団がオブザーバーとして出席した一方、シリア国内の反体制派は出席せず、Burhan Ghaliounを含む、海外在住の反体制派の大物の多くにも出席を拒否された。その翌日、彼ら(シリアのムスリム同胞団)はブリュッセルで自分たちの会議を行った。

2つのシリア国旗は何を象徴するのか?

Damascus Tribune のブログはシリア国旗の歴史を解説している。

علم الاستقلال
العلم الذي رُفع في سماء سورية في 17 نيسان من عام 1946 بعد جلاء الفرنسيين عن الوطن واستمر حتى الوحدة بين سورية ومصر. اعتمد شكل هذا العلم وألوانه في المادة السادسة من الفصل الأول للدستور الصادر عن الجمعية التأسيسيّة السورية في 5 أيلول عام 1950 كما ورد حرفياً في دستور عام 1930، ونُشر في الجريدة الرسمية العدد 45 تاريخ 7 أيلول 1950……جاء تصميم العلم السوري غنياً برموز لونية، وهي تماثل ألوان علم الثورة العربية الكبرى، فالأخضر للإسلام عموماً، والأبيض للأمويين، والأسود للعباسيين، والنجوم الحمر للعلياء والبطولة ودماء الشهداء.

<独立旗>
1946年4月17日、フランス人の撤退後にシリアの空に掲げられ、シリアとエジプトの連合の際まで使用された。旗の形と色は1950年9月5日に憲法制定会議によって承認された憲法の第1章6項で定められている。その内容は1930年憲法に記載されていたとおりであり、1950年9月7日付の官報45号で発表された。…このシリア国旗には、アラブ反乱旗(訳注:1916-1918年のアラブ反乱で用いられた旗)と同じ多くの色が使われている。 緑は一般的にイスラム教を、白はウマイヤ朝を、 そして黒は アッバース朝を象徴する。赤い星は優越、勇敢さ、そして殉教者の血を示す。

1946年4月17日、最後のフランス兵が撤退した後に掲げられたシリア国旗。Damascus Tribuneのブログから。(CC BY 2.0)

一方、Angry Arab News Serviceのブログにおいて、、Assad Abu Khalil博士は、『シリアの旗、そして、アラウィー派への偏見』(訳注:アラウィー派はイスラム教の一派。シリア人口の1割強を占めるのみだが、アサド大統領の出身派閥であるため権力を握っている)と題する投稿で現在の旗の使用を次のように擁護している。

…『独立旗』と呼ばれている旗は、実際には独立よりずっと前の1930年代に取り入れられたことを思い出すべきだ。シリア国営放送がこの旗を『フランス占領旗』と呼ぶのは、実際のところ、ずっと正確だ。本当にそのとおりなのだから。それに、現在のシリア国旗はバース党の旗ではない。アラブ連合共和国の旗だ。これは、基本的な歴史のレッスンだよ。

Maysaloon は、独立旗がシリア人に希望をもたらす新しい時代を示していると述べている。

独立旗に関するあらゆる事柄には、 より良い国を求めるという希望に根差した信念が染み込んでいる。たとえば、その旗をシリアのシンボルにした活動の背景や、 そのために戦った人々には、自由ですべての国民が幸福であることを願う希望があるのだ。 いつかシリア国民がこの旗を再びシリアの公式な旗にすることを決めたとしたら、それは今の国旗が正当でないからではなく、 独立旗が希望を象徴するからだ。独立旗を皮肉って『植民地』 の旗と呼ぶのは侮辱だ。

独立旗は今、シリアの『革命旗』として掲揚されており、また、世界中でも様々な場面で掲げられている。エジプト革命の間にも、シリアの反体制派を支持してタハリール広場で行われた抗議活動の際に現れた。

Syrian flag independence decorated Tahrir Square in Cairo.

カイロのタハリール広場に飾られたシリア独立旗。写真はSyria Matters Blogから。(CC BY 2.0)

Hamdyarabwebのブログにはシリア独立旗と並ぶトルコ国旗の写真が投稿された。次のようなコメントがつけられている。

#شبكة_خبر: تركيا ترفع علم الاستقلال السوري وتتجاهل النظام السوري بالكامل في لافتة للعالم كله ودرس جديد من تركيا للعالم العربي
トルコはシリアの独立旗を掲揚した。これは全世界に向けた行動でシリアの政権を完全に無視する態度を示したものであり、トルコからアラブ世界に向けて新たな模範を示している。
Syrian independence Flag in Turkey

トルコで掲揚されたシリア独立旗。写真はHamdyarabwebのブログから。(CC BY 2.0)

また、独立旗はフランス・パリのエッフェル塔にも下げられている。

フランス・パリのエッフェル塔に下げられているシリアの旗。写真はSee Syria ブログから。(CC BY 2.0)

この記事は、シリア騒乱2011/12 特集の一部です。

この記事の校正は Takuya Oshige が担当しました。

1 コメント

  • gvjapanese

    この記事を選んだ理由は?『ある理念や団体の象徴である旗やシンボルマークの持つ重要性について、改めて考えさせられるなと思いました。』(2012/9/16)

    記事の背景には複雑な歴史があるので、お読みになる際には少し調べていただくとより深く理解できると思います。
    -- (公開時) 翻訳者

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