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どこへ向かう、低空飛行日本

希望が持てない社会という言葉で日本を語るようになったのは、いつ頃からだろう。

経済成長率は年々縮小し、2010年には名目GDPベースで隣国中国に追い抜かれ世界2位から3位に転落した。雇用環境の悪化が問題視され、所得格差は拡大し続けている。

また、家庭、地域、職場といった場での関係性の希薄化も指摘されている。例えば、2007年の国民生活白書ではそれぞれの場で生じる問題点に言及し対策を模索しているが、現段階でもそれを補完する社会制度やコミュニティが機能していないことは、造語や新語にも表れている。孤立する人が増える社会「無縁社会」や、関係性希薄化の理由を自身のコミュニケーション能力の欠如ととらえる「コミュ障(コミュニケーション障害の略)」といったものだ。

先行き不透明感がいや増すなか、2012年12月には政権が交代し、今後大きな変化が予期される2013年の日本。以下に一部転載するDr. Keiのブログは、希望を見出す足がかりを提案している。それは誰もが持つ事ができる「ある感覚」だ。全文はこちらから。

生きていられるならそれでいい-低空飛行日本-

 

日本はどこに向かおうとしているのか。日本人はどこを、何を目指して生きていくのか。

昨年は、そんなことを何度も問われる一年だった気がする
暮れの選挙も、そんな今の苦しい日本の状況を羅列的に映し出しているようだった。
その中で、一際強調されたのが、「強い日本を取り戻そう」、という言葉だった。
強い日本」。。。

強い時代が日本にはかつてあった。世界で「ナンバーワン」と呼ばれて、浮ついた時代があった。技術立国で、世界中が「メイドインジャパン」に沸いた(?)時代があった。「ウォークマン」は世界中に跋扈(注:ばっこ)した。「原子力」という新しいエネルギー資源の開発のために、原発が膨大に作られた。日本は、かつて強かった。

けれど、日本人は、もともと「勝ち続けることはない」、「強者で居続けることはない」ということもよく知っている。「強い」ことを目指すは自由だが、その根底において、すべては無常であり、栄えたものが恒常的に栄え続けるということはない、すべては流転する、と。そういう考え方を好むのもまた日本の風土であると思う。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ

 

イメージ画像「がんばれ」

イメージ画像提供: FlickrユーザーFireWaterSun Media(CC BY-NC-SA 2.0)

僕らは、世界の中で「強い国」であり続けなければならないのか。僕らは、さらにもっと上を目指さなければならないのか。原発先進国をさらに歩まなければならないのか。もっと「成長」しなけれればならないのか。5さらに「公共事業」を行い、道路を作らなければならないのか。今以上の生活を求めなければならないのか。

たしかに、「もっと上へ!」という勢いは必要だろう。かくいう僕も、「もっと上へ!」って思って日々生きているわけで、「上へ!」というパワーは決して否定されてはならないものだとは思う。それに、「もっと強くなりたい」、「もっと富みたい」という人の自由を誰かが奪うこともしてはならない。誰もがその可能性をもっている。誰もが強くなれる可能性や富める可能性をもっているし、それを求めることは、人間的には自然なことである。

ただ、今の日本全体を眺めると、「もっと上へ!」なんて言えない人や、「上」を放棄した人や、そもそもそういう発想自体をもっていない人たちがかつて以上に増えているように思う。「現状維持」か、「低空飛行」か、あるいは「沈没」か。もう上に向かう力も精神も残されていない人たち。「貧しくても、いつかは報われるから頑張る」じゃなくて、「貧しくて、報われないから、もうダメだ」、という人たち。

「強い日本」を目指すのは自由だが、日本に住む日本人を見ていると、もうとっくに日本人は弱っているように思う。もちろん強い人はいる。でも、俯瞰して見ると、かつて以上に多くの日本人が弱って、身動きさえ取れなくて、悲鳴を上げているようにしかみえない。

[中略]

…これからますます日本は低迷していくだろう。これは誰もが感じていることだ。強い日本を目ざしたところで、増えていくのは、リアルには「国債」ばかりで、泥沼から抜け出すことは、きっと僕らが生きている間は無理だろう。世界でも類をみないほどの「HYPER高齢社会」を迎え、誰も経験したことのないような時代を迎えるのだから。

[中略]

その中で、僕らはもっと生きる根底に目を向ける必要がある。「過度な贅沢」どころじゃない。「ちょっとした贅沢」も難しい時代だからこそ、奢侈(ぜいたく)とは別の価値基準をもつ必要がある。その究極が、「生きているというそのリアル」だろう。生きていれば、それでいい。生きている、そして目下、食べるものがある。それで満足できる感性が今こそ必要なのではないか。

イメージ画像 "Joy"

Flickrユーザーooberayhayによる
イメージ画像 “Joy” (CC BY-NC-ND 2.0)

家族がいる。誰かがそばにいる。好きな音楽がある。食べるものがある。住むところがとりあえずある。服が着られる。それに幸せを感じられるセンスだ。それはつまりは、日常の営みである。日々の生活をとりあえず過ごせる。それだけで幸せだと感じられるセンス。きっと幸福な人は、富裕層も貧困層も、そういうセンスをもっているはずである。不幸な人は、富裕層も貧困層も、生きていられることの幸福を感じられていない(感じるのは「不足」と「欠如」と「劣等感」)。そういうセンスは、学校では教育できない。家庭での問題であり、身近なところでの問題である。
この世に今、存在している。存在していられる。まだ、死んでいない。
そこに希望が見出せないだろうか。

本記事は、Dr. Keiのブログの一部を本人の許可を得て転載しています。

2 コメント

  • 諸悪の根源はアメリカの属国だから。何やっても頭を押さえつけられ発展しない。バブルだってアメリカが日本を警戒し、いきなり不利な為替レートを押し付けられ潰された。日本がせっせと稼いだ分も米国債を買う形でアメリカに貢がされている。
    中国は核保有国だから言いなりにならなくてもいいけど。

  • [...] Mari Wakimoto · 译者 GV 中文化小组 · 阅读原文 jp · 则留言 (0) 分享: HEMiDEMi · MyShare · Shouker · facebook · twitter · reddit · [...]

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