フィリピン 台風30号被害救済ボランティアから、涙を誘うレポート4編

A street full of debris in Tacloban. Photo from Tudla

瓦礫が堆積した道路 タクロバンにて。写真:Tudlaから転載

グローバルボイスの特集記事「フィリピン台風30号被害」もご覧ください

スーパー台風 ハイエン(フィリピン名:ヨランダ。訳注:以下台風30号と表記する)がフィリピン中部を襲ってから、ほぼ一ヶ月が過ぎた。多くの町は高潮により徹底的に破壊され、5000人以上が亡くなり数100万人が家を失った。台風被災者は当初、食料、水、薬品その他緊急援助物資が届くのが遅いと言って不平を漏らしていた。道路状態が悪かったりその他の運搬上の問題で誰も遠隔の町には近づけなかった。

批判に応えて、フィリピン政府は、すべての被災者に対し援助を拡大するべく手を尽くしていると保証した。台風30号による広範囲にわたる破壊に対し世界規模の援助と復旧活動が巻き起こった。フィリピン各地で数千の人が援助・荷造りセンターでボランティア活動を行った。また、多くの人が台風の被害を受けた村に赴き、台風30号が残した損害の度合いを記録するとともに、避難民が必要とする多くの援助を行った。

これらのボランティアたちは、自分たちがサマールおよびレイテで目撃した状況の写真、ビデオ、およびレポートを投稿することもできた。彼らの記録により、当初作成された台風30号のすさまじさに関する報告および政府の対応が遅いとする報告が間違っていなかったことが確認された。ここに、現地からの報告4件を紹介する。

1.Michael Beltranはタクロバン空港外部の光景を記述した。タクロバンはレイテ州の州都であり、また台風災害の「中心地」である。

The first image of our week in Leyte was an airport with people shivering and hungry on the one side, being ignored by the military and US Navy, and boxes and boxes of goods on the other. Apart from any physical structure that’s barely standing, what struck me the most was the grass and trees. Absent of any pigmentation, still upright, dry, no mud, just dead plants as far as the eye could see; trees with branches and leaves, frozen in the opposite direction of the wind brought by the supertyphoon. The image becomes permanently embedded in your mind right before you become acutely aware of the smell.

空港を挟んで一方の側には、軍隊および米国海軍に無視され、寒さに震え腹を空かした人々の光景があり、もう一方の側には、物資の詰まった箱また箱の置かれた光景がある。これが、レイテに1週間滞在している間に最初に目にした光景であった。かろうじて立っている構造物はさておき、私が最もショックを受けたものは草や木であった。全く色彩を欠き、なお真っ直ぐに、乾燥し、ぬかるみもなく、枯れた植物が見渡す限り広がっている。枝と葉だけになった木々が、スーパー台風によってできた吹きだまりの反対方向に、凍てついたように立っている。このような光景がしっかりと目に焼き付くようになって初めて、悪臭がひどく気になるようになる。

2.活動家のRenato Reyesは市における遺体収容作業が緩慢なことを非難した。
  

After the pictures of the body bags in the public market in Tacloban, I stopped taking shots. I had to comprehend the fact that 2 weeks after Typhoon Haiyan, bodies were still being recovered, people were still living near decaying corpses, and there's an effort by the national gov't to downplay the casualty count and cover up official incompetence in dealing with the calamity.

タクロバンの公共市場で遺体収容袋の写真を撮った後は、写真を撮るのを止めてしまった。台風30号の後、2週間が過ぎたのに未だに遺体収容作業が続いている。住民はなお、腐敗しかけた遺体の近くで生活している。そして政府は死傷者数を少なめに見積もったり、この災難を処理するにあたっての無能ぶりを取り繕うのに躍起になっている。私はこのような実態を理解しなければならなかった。

3.サマールとレイテにテントとロウソクの町が 出現している、と環境保護運動家のLeon Dulceは記述する。

We personally witnessed tent and candle towns rising above the debris amidst persisting rainfall. Fisher folks lost all their boats and other implements to the storm surges, while farmers can only stare at the hectares upon hectares of uprooted coconut trees and flooded rice fields.

我々は降り続く雨の中、瓦礫の上にテントとロウソクの町が出現しているのを自身の目で目撃した。漁民は高潮で船やその他の漁業用器具すべてを失った。一方農民は、何ヘクタールにもわたりココナツの木が根こそぎにされ、田んぼが水浸しになっているのをただ見つめるだけである。

Many survivors waited for several days before aid was provided to them. Photo from Antonio Tinio

多くの被災者は救援物資が支給されるまで何日も待たされた。写真:Antonio Tinioから転載

 

A curfew was imposed in many typhoon-hit villages to maintain peace and order, specifically to prevent widespread looting. Photo from Antonio Tinio

平穏を保ち、さらには略奪が蔓延するのを防ぐため、台風被害を受けた多くの村では夜間外出禁止措置が執られた。写真:Antonio Tinioから転載

Electricity will be restored in two to three months. Meanwhile, electric cables are still useful for those who need to dry their clothes. Photo from Antonio Tinio

電気は2~3ヶ月のうちに復旧の見込みである。一方、電線は住民が衣類を乾かす時に今も重宝している。写真:Antonio Tinioから転載

4.数千人の台風被災者がサマールおよびレイテを後にしている。

多くの住民がマニラやダバオのような他の都市の中心部へ移住している。Mae Fe Templa教授は、移住は住民がいかに政府への信頼をなくしているかを反映したものだと解説した。。

The migration of survivors indicate the rising problem of people having lost trust in government. The movement of Yolanda survivors from Leyte to anywhere in the country indicates two things: One is government inaction as people lose trust in government. Two, is the people’s initiative to transform their own lives and redefine ways of living under extreme conditions of poverty and climate change

被災者の移住は、彼らが政府への信頼をなくしてしまったという、ますますやっかいな状況を示すものである。台風30号の被災者がレイテから国内の他の場所へ移住する動きは二つのことを物語っている。一つ目は、住民が政府への信頼をなくす結果となった政府の無策ぶりを物語るものである。二つ目は、住民自らが生き方を転換し、また貧困と気候変動という厳しい条件の下で生活様式を見直そうとする取り組みを物語るものである。

Grounded ship along Anibong road in Tacloban City. Photo from Tudla

Anibong道路に打ち上げられた船。タクロバン市にて。写真:Tudlaから転載

Many farmers also lost their livelihood in Marabut, Samar.

多くの農民は生活手段を失いもした。サマール州 Marabutにて。写真:Tudlaからの転載

A damaged house in Hernani, Eastern Samar. Photo from April Val Montes

損傷した家屋。東サマール州 Hernaniにて。写真:April Val Montesからの転載

A typewriter was one of the salvaged things in Balangkaya, Eastern Samar. Photo from April Val Montes

このタイプライターは回収された家財の一つである。東サマール州Balangkayaにて。写真:April Val Montesからの転載

A mass grave marker in Palo, Leyte. Photo from Pher Pasion

林立する墓標。レイテ州パロにて。Pher Pasionからの転載

グローバルボイスの特集記事「フィリピン台風30号被害」もご覧ください

校正:Misa Akeno

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