タジキスタン ~同性愛者にとっての地獄~

タジキスタンでは、ゲイの問題はタブーである。15年前、同性愛は犯罪とはみなされなくなったが、いまだに保守派社会では性的マイノリティに対して非常に不寛容で、同性愛者は嫌悪される。さらに、勇気を出して「異例の」性的指向を公言などしようものなら、容易に身体的・精神的虐待の犠牲となってしまう。この虐待には、警察さえ加担することがある(pdf)。結果として、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーを含むLGBTコミュニティは、タジキスタンで最も閉鎖され、隠された部分であり続けている

近年のブログ界での議論から、タジキスタンにおいてゲイであることが何を意味するのか、国民がLGBTのメンバーをどう思っているのか、うかがう事が出来る。

「ゲイであることは、痛みそのもの…である。」

ブロガーのRishdorが、彼自身が通う大学で起こった暴力事件について記事を書いた[ru]ことが、議論の発端になった。学生たちは、クラスメイトの一人がゲイだと知ったのである。Rishdorはこう書いている[ru]。

Как-то все восприняли это как личную обиду. Гомика решили проучить. Человек 8 однокурсников избили его в туалете. Жестоко избили, у него все лицо и костюм были в крови…

なぜだか分からないが、学生たちは気分が害し、ゲイを懲らしめなければならないということになった。8人くらいのクラスメイトがトイレで彼を殴りつけた。本当に酷かった。顔も衣服も血まみれだった…

ブログに寄せられた多くのコメントの中には、この事件はタジキスタンに蔓延する同性愛憎悪をよく表していると言う[ru]読者がいた。

[Д]умаю это не первый случай. Пока он в Таджикистане он будет с «этим отношением» сталкиваться. Каждый день. Когда он пойдет в правоохранительные органы за помощью, его выгонят издеваясь, везде его будут встречать с насмешкой, и толпа непонятных молодых людей будут всегда и везде его преследовать.

Мне искренне жаль его.

そのゲイの青年が、集団暴行を受けるのはこれが初めてではないだろう。この青年もタジキスタンに居る限り、憎悪の対象となることは一日たりとも避けられないし、警察に助けを求めようものなら、嘲られ、追い返されてしまうだろう。どこへ行こうとも、侮蔑的な態度でしか接してもらえず、いつも、どこでも一群の若者に追い回わされるだろう。本当に気の毒だ。

Shakhaという別の読者はこう尋ねる[ru]。

[П]очему в нашей стране сохраняется такое отношение к геям? Ведь быть геем это уже давно не преступление, за это не предусмотрено никакого официального наказания со стороны государства. И современная наука уже давно доказала, что гомосексуализм – это не какое-то психиатрическое отклонение, которое можно вылечить таблетками (или побиванием камнями, плетями)…

なぜタジキスタンでは、ゲイへの憎悪が消えないのか。ゲイであることは、もはや犯罪ではなく、国家が彼らを公に罰することもない。。同性愛は、精神異常の一種ではないと近代科学で証明されており、治療で治せる類いのものではない。(もちろん、石打ちや鞭打ちの刑でも治せない)

Rishdorの記事へのレスポンスとして、Drugoiという別のブロガーはこう書いている[ru]。

Вы знаете что значит быть геем в Таджикистане? Хуже ничего и не придумаешь!..

БЫТЬ ГЕЕМ ЗНАЧИТ, БЫТЬ НЕПОНЯТЫМ. Почти никем. Это значит, быть обреченным на одиночество и равнодушие даже родных и семьи, друзей, на их презрение и сожаление что ты такой. Попытки убедить тебя, а, скорее себя самих, что это лишь болезнь, как грипп и ее можно и нужно поскорей вылечить.

Это БОЛЬ, СТРАДАНИЯ, ОБИДА, ОДИНОЧЕСТВО, УНИЖЕНИЯ.

タジキスタンでゲイであるということは、何を意味するのだろうか。それがどんなに過酷であっても、これ以上最悪なことってない!

ゲイであるということは、歓迎されざる者であるということだ!人々は口を揃える。それは、孤独と無関心の犠牲になり、家族や友人からでさえ避けられるということだ。ありのままでいれば、侮蔑され、可哀想な人として扱われる。周囲の人々は、同性愛は単なる病気であると思い込み、ゲイ本人にもそう思い込ませようとし、すぐにでも治療を受けさせようとする。ゲイであるということは、「痛み」、「苦しみ」、「侮辱」、「孤独」、「嘲り」である。

ブロガーFragariaの別のレスポンス記事“Leave Gays Alone”でこう訴えた[ru]。

Хватит лезть в чужую жизнь… Научитесь относиться к человеку как к человеку, а не как к девушке, парню или гею… Принимайте людей такими, какими они уже сформировались. Будьте толерантными. Какая вам разница, с представителем какого пола этот человек предпочитает секс?

他人の生き様に干渉しようとしないでほしい…女性、男性、ゲイとしてではなく、人を人として扱うことを学んでほしい…他者がどのようであれ、受け入れてほしい。私たちは寛容にならなければならい。人が男性と関係を持とうが、女性と関係を持とうが、あなたに何の関係があるというのだ。

「ゲイにとっての地獄」

一方で、読者のコメントはLGBTコミュニティのメンバーがタジキスタンで広く受け入れられるのは極めて難しいことを示唆している。

匿名の読者はこうコメントしている[ru]。

Живём в среднековьи или в современном мире, всё равно запретное есть запретное. Не стоит продавать свою веру ради признания этих больных в обществе…

私たちが生きる時代が、中世だろうが現代だろうが、禁じられるべきことは禁じられなければならない。同性愛という病気の人々を認めることによって、信仰を捨ててはならない…。

Teocratという別のブロガーは、ゲイの権利を認めることは、動物性愛者小児性愛者を認めることと同等であると論じている[ru]。また、「ゲイが皆と同じように扱われたいなら、皆と同じように振る舞わなくてはならない。」とも述べている。
ブロガーのBachai Sakoは、タジキスタンにゲイの居場所はないとまで言い切った[tj]。
Гомосексуалисто на точик хастанду, на мусулмон. Онхо одамои касал ё хайвонот.
タジキスタン国民やイスラム教徒に同性愛者はいない。彼らは病気だ。じゃなけりゃ動物さ。
これらのコメントの下に、Mustafoはこう書いた[ru]。

Мне с гомосексуалистами в нашей стране как-то не доводилось встречаться. Но судя по коментариям Таджикистан ад для геев.

私はこの国で同性愛者にあったことがない。でも、ここにあるコメントを読む限り、タジキスタンはゲイにとって地獄のような場所だ。

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