スナップ写真で街の住人を紹介。世界を身近に感じられる「ヒューマンズ・オブ・ニューヨーク」シリーズ

Humans of Lebanon

傘があるかないかで大違い。ベイルートのハムラ通り。写真は、撮影Fadi BouKaram。ヒューマンズ・オブ・レバノンのFacebookページから

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ヒューマンズ・オブ・レバノンを見ると、自分がどれほどレバノンを愛しているか、一瞬で思い出す。若いカップルがビニール傘の下でくつろいでおしゃべりしている横で、雨を避けるため走り出す青年が写っている、1枚の写真。この写真を見ると、ハムラ通りでこれと似たような雨の夜があったことを思い出す。ものすごい土砂降りの雨に降られて、側溝からは今にも水が歩道にあふれてきそうだった。私たちは車道に降り、その雨の中ダンスを踊った。

私たちのこのささやかな瞬間は写真に収められたりはしなかったが(私の知る限りでは)、ヒューマンズ・オブ・レバノンは、その元のアイディアであるヒューマンズ・オブ・ニューヨークと同じく、このような情景であふれている。写真に写った人たちから寄せられた、時には皮肉、時には悲痛なコメントとあいまって、これらのページは、異なる世界を覗かせてくれる窓であり、目で見る旅行記となっているのだ。

すべての原点である「ヒューマンズ・オブ・ニューヨーク(HONY)」は、社会現象となった。HONYの生みの親、ブランドン・スタントンは、昨年イランへ旅行した(それ以前に、彼はゆうに一年以上に渡ってニューヨーカーを人間味溢れる形で撮影してきたが、イラン旅行中もそれと同じやり方で現地の人々を撮影した)。その旅行後、スタントンのウェブサイトは大変な注目を浴びるようになり、本にして出版する話が持ち上がり、主要マスコミでも大きく取り上げられた。ごく最近では、スタントンは国連から、世界を巡るツアーに出るよう依頼された。今のところ、彼がイラクやヨルダンで撮った旅行写真はすごい勢いでオンライン上で広まり、寄せられるコメントも彼の写真の「人間味を感じさせる」効果に注目したものが多い。

“I’m living a good life. I’m a business owner. A lot of hotels say, ‘Come shine shoes for us. We will pay you better.’ I tell them: ‘Why would I do that? I am free.’” (Shaqlawa, Iraq). From the Humans of New York Facebook page, uploaded on August 1, 2014.

「恵まれた生活だよ。自分のビジネスを持ってるんだ。色んなホテルから『うちのホテルで靴を磨かないか。収入アップになるぞ。』と誘われるんだけど、でもこう言うんだ。『やるわけないじゃないですか。私は自由なんですよ。』」(イラク、シャクラーワ市)ヒューマンズ・オブ・ニューヨークFacebookページより、2014年8月11日投稿

2013年のインタビューで、スタントンは以下のように語った。「… HONYとは何か、それがどう世界に貢献していて、またその取り組みの背後にある意味は何か、というような、そんな包括的な理念はあえて作らないようにしているんだ。どうしてHONYをやってるのかって? 楽しいからさ。僕以外の人たちも楽しんでくれているみたいだし、さらに腕を磨きたいと思ってるよ。この取り組みの後ろに何か意味があるのだとしたら、それが自然に見えてくるのを待とうよ。」

しかしそれでも、HONYとその模倣である一連のシリーズが、他の世界を覗く新しいレンズを作ったことは間違いない。Facebookでちょっと検索してみれば、ヒューマンズ・オブ・インディアからヒューマンズ・オブ・ストーニーブルックまで、何十ものページが見つかる。これらのページは、大都市から小さな町に至るまでの、写真による住民調査なのだ。これらのページのおかげで、私たちは飛行機に乗らなくても、遠く離れた目的地のカフェやスラムの様子を垣間見ることができる。しかもそれだけではなく、その町の住人たちの心の中までも垣間見ることができるのだ。

"I started feeding him, he started protecting me from the bullies. Now we're brothers." From the Humans of India Facebook page.

「僕がこの犬に餌をあげ始めたんだけど、そしたら僕をいじめっ子たちから守ってくれるようになったんだ。今ではまるで兄弟さ。」ヒューマンズ・オブ・インディアFacebookページより、2014年6月26日投稿

"In Syria, I used to have a small library and a club for young people who love to read, and would sell books for cheap prices so as many people as possible could benefit. I'm the one in charge of the publishing house you can see inside, which is where I sell books as well." "How did reading change your life?" "Human! Reading made me human." "When did you start reading?" "I started at the age of 15, I used to spend my pocket money on books to read without my parents knowing. They would always ask me where I spent all the money, until they saw all the books I was hiding under my bed."

「シリアでは、読書好きな若い人たちのために、小さな図書館とサークルを運営していました。また、できるだけ多くの人に手が届くようにと、安い値段で本を売ったりもしました。今はこの奥にある出版社の責任者をしていて、そこでは本の販売もしていますよ。」読書によりあなたの人生はどう変わりましたか?「人間に! 本を読むことで人間らしくなりました。」読書し始めたのはいつですか?「15才の時です。両親には内緒で、お小遣いは読む本を買うために使ってました。両親はいつも私に、お小遣いを何に使ってしまったのかと聞いていましたが、そのうち私がベッドの下に隠していた本の山を見つけました。」ヒューマンズ・オブ・アンマンFacebookページより、2014年8月15日投稿

スウェーデン政府は2年前、もうずっと前から取得していたに違いないTwitterアカウント、@swedenの使い道を見つけた。このアカウントの管理者権限を、毎週違うスウェーデン国民に貸して、スウェーデン人でいるとはどういうことかを伝えるさまざまな写真をTwitterの世界の中で見せていくことにしたのだ。物議を醸してはいるものの、この試みは非常に成功していて、これを真似た@twkUSA(アメリカ人が自分たちの生活について自慢している)や@WeAreNaija(ナイジェリア人がナイジェリアについて教えてくれる)まで誕生した。毎週、違う人が出てきて、前の週とは違う切り口で自分の国を表現するのを見るのはとても興味深いものだ。

「ヒューマンズ・オブ」シリーズの世界でも、Twitterの世界でも、アカウント同士、互いに交流し合うのはしょっちゅうだ。@Swedenと@twkUSAは、どっちの国の方がコーヒーをよく飲むか討論する。ヒューマンズ・オブ・チャイナは、HONYにコメントを投稿する。ささやかな瞬間が、文化を越えてシェアされる。ささやかな瞬間が、遠く離れた友人間で大事に共有される。

「ヒューマンズ・オブ」シリーズでは、写真が投稿されるとまもなく、その写真に写っている人を知っている人からのコメントで、その人が誰だか分かることがよくある。「ちょっと、この人、私の友達だよ!」と言って、写真の中の人物にタグ付けするかもしれない(あるいはしないかもしれない。すべての人が、この人気のソーシャルネットワーク(訳注:Facebookのこと)の利用者というわけじゃないことを忘れないようにしよう)。かつて私は、遠い雲の上の存在であるセレブの愛用品を、オンライン上で夢中になって探していた。その時とやり方は同じだ。私が(ほんの一瞬)賞賛の気持ちを抱き始めた相手とつながるには、オンライン上で1クリックすればいいだけだ。私はその人のことをオンライン上で見ることができる。つまり、まるで賑やかな住宅街の通りから窓越しに家の中を覗き込むかのように、その人の生活を覗き見することができるのだ。

「テヘランはあなたが思うほど遠くない(原文のまま引用)」との言葉を掲げるヒューマンズ・オブ・テヘラン。ほぼ16万人のファンがいるが、その多くがアメリカ人だ。法律的にはアメリカ国民のイランへの渡航は可能だが、実際に旅行する人は少ない。アメリカ政府とイラン政府の対立のせいで、多くのアメリカ人が、イランは危険な場所だとの印象を持っている。また一方で、イランに行ってみようかと思っている人たちも、イラン政府がアメリカ人旅行者に課す制約のせいで二の足を踏んでいる。しかしそれでも、ヒューマンズ・オブ・テヘランに投稿されたコメントからは、人々がイランに興味を持っていることが伝わってくる。次のような感謝のコメントは普通で、決して珍しいことではない。「やっと、マスコミが伝えるのとは違う、テヘランからの話を見たり聞いたりできるようになったわ。」

同様にパキスタンも、ほとんどのアメリカ人から敬遠されている。ヒューマンズ・オブ・ラホール(訳注:パキスタン北部の都市)の発起人はその事実をはっきり自覚していて、そのページの目的を「大抵誤解され非常に歪んだ形で伝わることの多い、世界のこの片隅から、なんとか情報発信しようと試みること」と言明している。そして実際、彼らはこの地について、写真を通じて語りかけてくる。職人たちや、貧しい子供たち、ヒンドゥー教の祝祭、スパイス売りたち、そしてバイクに乗る女性たちを写した写真。これらの写真は、多様性と魅力に満ちた国を映す真のモザイクだ。

私たちのオンラインでのやり取りは「フィルターに囲まれた世界」の中だけで留まっているのだ、と確信する人が多くなった。つまり、会話が交わされるのは自分と意見が近い人との間だけ、ということで、これでは政治的ならびに社会的な変革など到底起こりえなくなってしまう。しかしそれでも、Global Voicesや「ヒューマンズ・オブ」シリーズといった取り組み、または国がテーマのTwitterアカウントを見れば、人々は実のところ、政治的境界線とまではいかないまでも、地理的な境界線は乗り越えて通じ合っているということが分かる。

これは私には真実だと感じられる。私は自分の人生でこの8年間を、これらの境界線を越えて通じ合うことに捧げてきた。私の呼びかけに応えてくれた人の多くが、私と似たイデオロギーを持つ人たちだったことは事実だが、またその一方で、育てられ方や家族、教育については、大抵まったく異なっている。政治的境界線を乗り越えることは大事なことだ。それは間違いない。しかし同時に、地理的境界線を越えることの重要性も忘れてはならない。私の親友や悪友、気が合う友達の内の何人かは、「実際に」もしくはバーチャルに旅をする中で出会った。これらのポータルサイトを通じて、あなたもそんな人たちに出会えるかもしれない。

「ヒューマンズ・オブ」シリーズの中から、私のお気に入り。

Humans of Syracuse (米国:ニューヨーク州シラキュース)
Humans of Zagreb(クロアチア共和国:ザグレブ)
Humans of Paris(フランス:パリ)
Humans of Buenos Aires(アルゼンチン:ブエノスアイレス)
Humans of Singapore(シンガポール)
Humans of India(インド)
Humans of Amman(ヨルダン:アンマン)
Humans of Toronto(カナダ:トロント)
Humans of Detroit(米国:デトロイト)
Humans of Durban[dead link](南アフリカ共和国:ダーバン)
Humans of Lublin(ポーランド:ルブリン)
Humans of Rome(イタリア:ローマ)

ジリアン・C・ヨークは、ライターであり、言論の自由についての活動家。現在は、サンフランシスコの電子フロンティア財団にてInternational Freedom of Expressionのディレクターを務める。テクノロジーと政策、両方が交わる分野が専門。

校正:Saki Takasuka

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