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	<title>Global Voices 日本語 &#187; 文学</title>
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		<title>グローバル・ボイス・ブック・チャレンジ：世界を読覇！</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Mar 2009 14:00:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hanako Tokita</dc:creator>
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		<description><![CDATA[4月23日はユネスコ「世界本の日」。グローバル・ボイスのメンバーはブログが好きだからといっても、他の形態で書かれた文章を忘れてしまったわけではありません！読書は他の文化を楽しく知ることができる良い方法です。そこで、すべてのグロバール・ボイス投稿者と読者、そしてブロガーのために、楽しいチャレンジを用意しました。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<em>原文作者：<a href="http://globalvoicesonline.org/author/ayesha-saldanha/">Ayesha Saldanha</a>  &middot; 翻訳： <a href='http://jp.globalvoicesonline.org/author/hanako-tokita/'>Hanako Tokita</a> &middot;  <a href='http://globalvoicesonline.org/2009/03/26/global-voices-book-challenge-read-your-way-around-the-world/'>原文を見る</a></em> 
<br /><p><img alt="" src="http://globalvoicesonline.org/wp-content/uploads/2009/03/gv-book-challenge-banner-450x147.gif" class="aligncenter" width="450" height="147" /><br />
4月23日はユネスコ「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E3%83%BB%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E3%83%87%E3%83%BC">世界本の日</a>」。グローバル・ボイスのメンバーはブログが好きだからといっても、他の形態で書かれた文章を忘れてしまったわけではありません！読書は他の文化を楽しく知ることができる良い方法です。そこで、すべてのグロバール・ボイス投稿者と読者、そしてブロガーのために、楽しいチャレンジを用意しました。</p>
<p><strong>グローバル・ボイス・ブック・チャレンジ：</strong></p>
<blockquote><p>
１）1か月の間に、今までに読んだことがない国の文学を読みます。<br />
２）4月23日の週に、読んだものについてブログエントリーを書きます。</p></blockquote>
<p>エントリーを検索できるように、<strong>#gvbook09</strong>のタグをつけてください。</p>
<p>例えば、ベトナム、ボリビア、モザンビーク、ニュージーランドなど、あなたが興味を持っている国のおすすめの本を知りたい場合は、コメント欄に質問を投稿してください。きっと誰かが教えてくれるでしょう。</p>
<p>あなたの国の作品で推薦したいものがあれる場合も、ぜひコメントを投稿してください。</p>
<p>本を読み終えたら（そして、ブログエントリーを投稿したら）、あなたがこの文学的冒険で発見したことを教えてください。</p>
<p>ブック・チャレンジの画像は自由に使用できます。ぜひグローバル・ボイス・ブック・チャレンジの輪を広めてください！</p>
<p><img src="http://globalvoicesonline.org/wp-content/uploads/2009/03/gv-book-challenge-square-75.gif" alt="Global Voices Book Challenge" title="Global Voices Book Challenge" width="75" height="75" class="alignnone size-full wp-image-64559" /> <img src="http://globalvoicesonline.org/wp-content/uploads/2009/03/gv-book-challenge-square-263.gif" alt="Global Voices Book Challenge" title="Global Voices Book Challenge" width="263" height="263" class="alignnone size-full wp-image-64576" /></p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>日本：日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で</title>
		<link>http://jp.globalvoicesonline.org/2008/11/28/458/</link>
		<comments>http://jp.globalvoicesonline.org/2008/11/28/458/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 28 Nov 2008 07:07:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Tomomi Sasaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Feature]]></category>
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		<description><![CDATA[日本人作家でエッセイストの水村美苗氏の最新著書『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』が発売となり、日本のブログスフィアにおいて、日本語の運命について熱い議論が交わされた。この本の中では、日本とアメリカで教育を受けた著者が、何世紀にも渡って多くの文学者や知識人が文学的価値の高い作品を創出した言語、という文脈で、日本語の役割と未来について見解を述べている。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<em>原文作者：<a href="http://globalvoicesonline.org/author/scilla-alecci/">Scilla Alecci</a>  &middot; 翻訳： <a href='http://jp.globalvoicesonline.org/author/tomomi-sasaki/'>Tomomi Sasaki</a> &middot;  <a href='http://globalvoicesonline.org/2008/11/17/japan-japanese-language-in-the-age-of-english/'>原文を見る</a></em> 
<br /><p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%8C%E4%BA%A1%E3%81%B3%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%8D%E2%80%95%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%A7-%E6%B0%B4%E6%9D%91-%E7%BE%8E%E8%8B%97/dp/4480814965/ref=sr_1_1"><img src="http://globalvoicesonline.org/wp-content/uploads/2008/11/fateofjapaneselanguage.jpg" alt="" title="The Fall of the Japanese Language in the Age of English" class="alignright size-full wp-image-52721" /></a></p>
<p>日本人作家でエッセイストの<a href="http://minae-mizumura.com/default.aspx ">水村美苗</a>氏の最新著書『<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%8C%E4%BA%A1%E3%81%B3%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%8D%E2%80%95%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%A7-%E6%B0%B4%E6%9D%91-%E7%BE%8E%E8%8B%97/dp/4480814965/ref=sr_1_1"><em>日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で</em></a>』が発売となり、日本のブログスフィアにおいて、日本語の運命について熱い議論が交わされた。この本の中では、日本とアメリカで教育を受けた著者が、何世紀にも渡って多くの文学者や知識人が文学的価値の高い作品を創出した言語、という文脈で、日本語の役割と未来について見解を述べている。</p>
<p>一番最初にポジティブなレビューを書いたブロガーは、梅田望夫氏だ。英語と日本語の関係に関する今後の議論のもとになって欲しい、と言っている。自身のブログ<a href="http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1"><em>My Life Between Silicon Valley and Japan</em></a>において、以下のように主張する：</p>
<blockquote><p>この本は今、すべての日本人が読むべき本だと思う。「すべての」と言えば言いすぎであれば、知的生産を志す人、あるいは勉学途上の中学生、高校生、大学生、大学院生(専門はいっさい問わない)、これから先言葉で何かを表現したいと考えている人、何にせよ教育に関わる人、子供を持つ親、そんな人たちは絶対に読むべきだと思う。
</p>
</blockquote>
<blockquote><p>
一言だけいえば、これから私たちは「英語の世紀」を生きる。ビジネス上英語が必要だからとかそういうレベルの話ではない。英語がかつてのラテン語のように、「書き言葉」として人類の叡智を集積・蓄積していく「普遍語」になる時代を私たちはこれから生きるのだ、と水村は喝破する。そして、そういう時代の英語以外の言葉の未来、日本語の未来、日本人の未来、言語という観点からのインターネットの意味、日本語教育や英語教育の在り方について、本書で思考を続けていく。
</p>
</blockquote>
<blockquote><p>
少女時代から漱石に耽溺し「続明暗」でデビューした水村の問題提起は、「たとえば今日、2008年11月7日、漱石と同じくらいの天賦の才能を持った子供が日本人として生を受けたとして、その子が知的に成長した将来、果たして日本語で書くでしょうか。自然に英語で書くのではないですか」ということである。放っておけば日本語は、「話し言葉」としては残っても、叡智を刻む「書き言葉」としてはその輝きを失っていくのではないか。「英語の世紀」とはそういう暴力的な時代なのだと皆が認識し、いま私たちが何をすべきか考えなければならない。
</p>
</blockquote>
<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20081110/p1">id:fromdusktildawn</a>は、日本語が落ち目であることは、ここ数年で(特にマスメディアによって)発信されてきた日本語コンテンツの貧弱さに起因する、と反対意見を示す。さらに、日本人は日本文学を勉強するよりも、経済を勉強して政治意識を高めた方が役立つだろう、と言う：</p>
<blockquote><p>
今後、世界中の、あらゆる価値ある知識は英語で生産され、英語で流通する。<br />
インターネットの普及が、その流れをますます加速している。<br />
世界中の知的にパワフルな人々は、ますます母国語よりも英語で読み、英語で書き、<br />
英語で議論しながら、価値ある学術的成果・文化・商品・サービスを創り上げていくだろう。<br />
[…]</p>
</blockquote>
<blockquote><p>
そうして、日本語圏は、三流芸人が軽薄にバカ騒ぎするバラエティー番組や<br />
スポーツマンや芸能人の下半身の話題をさも重大事件のように扱うゴシップ雑誌、<br />
知性のかけらもない動物的で脊髄反射的なネット書き込みばかりがあふれる言論空間に堕ちていく。<br />
書店の本も、ネット上の文章も、日本語のものは、ますます知的に貧弱になり、<br />
英語圏のものは、ますます豊かで豊饒で活力に満ちたものになっていくだろう。
</p>
</blockquote>
<p>[…]</p>
<blockquote><p>
日本近代文学大好きな小説家である彼女は、以下のような主旨のことを主張する。<br />
「国語」としての日本語の衰退を防ぐために、<br />
日本の学校教育の国語の時間数を増やし、<br />
全ての学生に日本近代文学を読み継がせることを<br />
日本の国語授業の主眼にすべきだ。
</p>
</blockquote>
<p>[…]</p>
<blockquote><p>
文化のために個々のリアルな人間が存在するのではなく、<br />
個々のリアルな人間の生を豊かにするために文化が存在するのだ。<br />
個々の人間のリアルな生が輝くのなら、日本文化など亡んでもかまわない。<br />
[…]</p>
</blockquote>
<blockquote><p>
そもそも、現在の多くの日本国民は、<br />
有権者としての最低限の知識すら身につけていない。<br />
どの政治家に投票すれば、自分たちの暮らしが良くなるのかを<br />
判断するための基礎知識が決定的に欠落しているのだ。<br />
どの政治家に投票すれば暮らしが良くなるのかを知るには、<br />
夏目漱石や芥川龍之介を読むより、<br />
現代経済学の教科書を読む方が、何百倍も効果的だ。
</p>
</blockquote>
<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/repon/20081109">id:repon</a>は、梅田氏や<a href="http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html">弾小飼氏</a>が主張する日本語の危機感は特に感じない、と反対意見を提示する：</p>
<blockquote><p>
僕には、id:umedamochioさんやid:dankogaiさんが「日本語が危ない」と「危機感」を持つ、その危機感とやらがさっぱりわかりません。<br />
英語は道具、日本語は「国語」。そうなっていくだけのことですよ。<br />
それは危機でも何でもありません。<br />
英語は「国語」にはなりませんよ。
</p>
</blockquote>
<blockquote><p>
「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」とベネディクト・アンダーソンはその主著「想像の共同体」で述べています。<br />
国民という概念は近代になって創造されたものなんですよね。<br />
その「国民」概念を支えているのが、共通言語として作られた「国語」なんです。<br />
「国語」は、簡単には衰退しませんよ。<br />
グローバリズムが簡単に国民国家や民族や宗教を駆逐するどころか、かえって強化したように。
</p>
</blockquote>
<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/essa/20081114/p1">id:essa</a> (<a href="http://globalvoicesonline.org/author/taku-nakajima/">Taku Nakajima</a>)はid:reponと同様、日本語が危機にさらされたら、国家の象徴としての日本語を守る流れが起きると言う：</p>
<blockquote><p>
確かに、グローバリズムに対抗する形で、民族や宗教の力は強まっている。でも、基本的にはその力は国民国家を解体する方向へ作用すると見るべきだと思う。どこの国でも、国民国家は内と外に引き裂かれて消滅しようとしている。
</p>
</blockquote>
<p>[…]</p>
<blockquote><p>
日本という国は、明治以降になってから明確に外国の存在を意識して人為的に作られた国であり、江戸以前の日本とは別の国だ。夏目漱石は自分が生まれた頃に新しく作られた、その近代日本という国において、どういう言語を使ったらいいかということを生涯のテーマとした人だ。<br />
[…]</p>
</blockquote>
<blockquote><p>
だから、明治維新で作られた近代的な国民国家としての日本が消滅した時に、何が出てくるか予想つかない。それがイメージできない分だけ私にも実感がわかない所もあるが、国民国家としての日本は消えつつあり、漱石に象徴される一つの言語が亡びつつあるのだと思う。<br />
そういう意味で、「あたし彼女」はやはり象徴的だ。あれは、夏目漱石の使った言葉とは違う言語だけど、枕草子には接続できるような気がする。</p>
</blockquote>
]]></content:encoded>
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		<title>ラテンアメリカ：言い伝え、お化け、悪魔、そして怖い話し</title>
		<link>http://jp.globalvoicesonline.org/2008/11/28/457/</link>
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		<pubDate>Fri, 28 Nov 2008 06:43:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Tomomi Sasaki</dc:creator>
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		<description><![CDATA[ラテンアメリカには、さまざまな神話がある。インカ、マヤ、アステカ時代から語り継がれたものもあれば、植民地時代にヨーロッパから流れ込んだものもある。シリーズの第一弾として、今回は「Llorona」、「Cegua」、「Cadejos」、「悪なる光(Evil Light)」など、ポピュラーな神話や伝説をいくつかご紹介しよう。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<em>原文作者：<a href="http://globalvoicesonline.org/author/juliana-rincon-parra/">Juliana Rincón Parra</a>  &middot; 翻訳： <a href='http://jp.globalvoicesonline.org/author/tomomi-sasaki/'>Tomomi Sasaki</a> &middot;  <a href='http://globalvoicesonline.org/2008/10/06/latin-america-lore-ghosts-demons-and-frights/'>原文を見る</a></em> 
<br /><p><img class="alignleft" src="http://globalvoicesonline.org/wp-content/uploads/2008/10/2431287578_2137c044b4_s.jpg"  />ラテンアメリカには、さまざまな神話がある。インカ、マヤ、アステカ時代から語り継がれたものもあれば、植民地時代にヨーロッパから流れ込んだものもある。シリーズの第一弾として、今回は「Llorona」、「Cegua」、「Cadejos」、「悪なる光(Evil Light)」など、ポピュラーな神話や伝説をいくつかご紹介しよう。（左上の写真：<a href="http://www.flickr.com/photos/lrargerich/">Irargerich</a>）</p>
<p>神話や伝説は、私たちの文化の一部だ。Nina Maguidは<a href="http://asombrosyescalofrios.blogspot.com/2008/05/de-espantos-y-espantajos.html">「恐怖と驚愕について」</a>において、これらの話しは、何らかの火を囲みながら一人称で語られるべきだ、と言っている。全くその通りだと思う。小さい頃は田舎の農家で休暇を過ごしたが、食後に食卓のまわりで寛いでいる時、チラつく石油ランプの光に照らされて、さまざまな神話の地元のバージョンを良く聞かされた。外の暗闇から犬の鳴き声や馬の走り去る音が聞こえるだけで、誰かが語り始める。続けてNinaは、アルゼンチンの母親の実家で良く語られた恐怖について書いている - 薄暗い光、未亡人、豚だ。</p>
<p style="text-align: center;"><img src="http://globalvoicesonline.org/wp-content/uploads/2008/10/2175291420_2c55a70549_m.jpg" alt="gaping maul" title="Scary creatures that jump at you by kevindoolay" class="aligncenter size-full wp-image-51024" /><br />
<a href="http://www.flickr.com/photos/pagedooley/2175291420/">Scary creatures that jump at you</a> by <a href="http://www.flickr.com/photos/pagedooley/">kevindoolay</a></p>
<p><a href="http://oroplatabronce.blogspot.com/2008/08/la-luz-mala.html">El Blog de Oro</a>のComodinによると、この光は宝物を探すために使われる。白い光なら金銀の宝物、赤い光なら悪魔の仕業であるから逃げなければいけない、と。この神話は、アルゼンチン特有のものではない。<a href="http://www.dentrotele.com/2007/05/24/la-luz-de-mafasca-en-cuarto-milenio/">スペイン</a>やチリをはじめ、世界中の人々が、たそがれ時にあらわれる<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Will-o%27-the-wisp">謎めいた光</a>について、説明をつけようとしている。</p>
<p>「未亡人」は、夫の浮気を発見して死んだ。愛に裏切られた彼女は、永遠にこの世に残って復讐をする、という契約を悪魔と結ぶ。未亡人は、馬に乗っている独身男性の後ろに飛び乗る。そして男が恐怖を感じると、殺す。生き残る唯一の方法は、ロアリオか十字架を身につけ、恐怖を感じないことだ。この神話は、アルゼンチンの民話にあまりにも根付いているため、「未亡人が訪れる」という表現は、予期せぬ事柄もしくは不愉快な事件が起きることを意味する。</p>
<p>El <a href="http://elblogdebender.blogspot.com/2008/06/la-viuda-negra-leyenda-mito-historia.html">Loco Bender</a>が語る「黒い未亡人」にはもう一ひねりある。彼女に遭遇する裏切り者の男は、必ず長くて孤独な苦痛の最期を迎えるのだ。</p>
<p>コスタリカには、「L Cegua」という似た神話がある。La Ceguaは、馬に乗る孤独な裏切り者を魅力で引き寄せて、同乗させてもらう。男が振り向くと、彼女の顔は腐った肉で覆われた馬の骸骨であることが分かり、裏切り者の印として頬を噛まれる。<a href="http://marteselemental.blogspot.com/2008/08/leyendas-costarricenses.html ">Elemental</a>によると、悲劇はまだ続く。裏切り者は、恐怖のあまり目を大きく開いた状態で死を迎え、裏切りをしていない男は命拾いするものの、勃起不能に陥ったまま人生を送るのだ。</p>
<p>また、Elementalは「カデホ（Cadejos）」という悪魔の犬についても語っている。カデホは、透明の鎖を引きずりながら、暗闇から現れる。モジャモジャの髪の毛と巨大な牙を持ち、大きさは子牛くらいだ。炎が飛び散るような視線で、言うことを聞かない子ども、我がままな男、そして家畜までも脅かす。しかし、酔っぱらった男をLa Lloronaや泥棒から守り、無事に帰宅できるよう付き添うこともあるので、この恐怖は「優しさ」と捉えられている。しかし、グアテマラでではまた違って、白い犬と黒い犬がいるとされている。白い犬は、一緒に歩く人を守ってくれる。<a href="http://www.deguate.com/misterios/article_578.shtml">Deguate.com</a>のMrs. Argentina Barciaは、白い犬に連れられて、父親の死体を発見できたと言う。<a href="http://elblogchapin.wordpress.com/2008/08/23/el-cadejo/">El Blog Chapin</a>は、カデホが田舎に泊まっていた都会の男性の前にあらわれた怖い話しをして、地元の人が語る超自然の警告には、十分耳を傾けるように、とアドバイスをしている。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-full wp-image-51023" title="La Llorona by rareworlds" src="http://globalvoicesonline.org/wp-content/uploads/2008/10/105680280_027014f47a2.jpg" alt="La Llorona next to a river" /><br />
<a href="http://www.flickr.com/photos/tillyblye/105680280/">La Llorona</a> by <a href="http://www.flickr.com/photos/tillyblye/">rareworlds</a></p>
<p>さて本日の最後は、<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/La_Llorona">「ラ・ヨローナ（La Llorona）」</a>のストーリーだ。この話しのせいで小さい頃はずっと、発情期の猫が怖かった。La Lloronaとは「泣く女」と呼ばれ、国境を超える恐怖のひとつだ。メキシコからチリまで、ラ・ヨローナは、水がある場所(庭の水道タンクも含む)の近くで、行方不明の子どもたちを悔やんで、泣き叫ぶ。場所によっては、人に恐怖を与えたいだけだという国もあれば、コロンビアのように、疲れたから代わりに赤ん坊を抱いてくれという頼みごとを受け入れると、次の人が来るまで、あなたがラ・ヨローナとなる運命だ、という国もある。子どもが行方不明になる経緯は国によって違うが、共通した要素がいくつかある。基本的には、身分が高い男性と結婚して女性が惨めな思いをし、腹いせに子どもをおぼれさて、後々後悔をする、というストーリーだ。また、気まぐれな若い女性が、川辺の石の上に赤ん坊をおいて踊りに出掛けたところ、川が増水して子どもが流されてしまう、というパターンもある。それ以来、女は川辺を彷徨い、子どもを見かけた人はいないかと尋ねている、というわけだ。</p>
<p>Pablo and Francisco Cespedes Jrによる<a href="http://mx.youtube.com/watch?v=62TdO4Wnc5c">「Asusto」</a>という、コスタリカの短編アニメで締めよう。このビデオは、雄牛のいない馬車から首がない神父まで、コスタリカの民話を網羅している。字幕はないが、度重なる恐怖から逃げ去るなか、きっと言葉なんて必要がないだろう。</p>
<p><object><embed src="http://www.youtube.com/v/62TdO4Wnc5c&#038;hl=en&#038;fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>
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		<title>聴覚障害啓発週間：様ざまな手話の種類</title>
		<link>http://jp.globalvoicesonline.org/2008/10/02/445/</link>
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		<pubDate>Thu, 02 Oct 2008 01:51:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Mariko Yagi</dc:creator>
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		<description><![CDATA[多くの聴覚障害者が手話を第一言語、書き言葉を第二言語と考えていることをご存知だろうか。毎年９月の第４週は、国際聴覚障害啓発週間。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<em>原文作者：<a href="http://globalvoicesonline.org/author/juliana-rincon-parra/">Juliana Rincón Parra</a>  &middot; 翻訳： <a href='http://jp.globalvoicesonline.org/author/mariko-yagi/'>Mariko Yagi</a> &middot;  <a href='http://globalvoicesonline.org/2008/09/22/deaf-awareness-week-a-different-type-of-book-signing/'>原文を見る</a></em> 
<br /><p>多くの聴覚障害者が手話を第一言語、書き言葉を第二言語と考えていることをご存知だろうか。私は知らなかったが、世界中の聴覚障害者コミュニティーのおかげでこのことを知り、これまで知らなかったことについても学んだ。国際聴覚障害啓発週間は、９月の第４週目に開催され、この期間中、私は世界中の聴覚障害コミュニティーからの、もしくは聴覚障害コミュニティーに関する様ざまなビデオを紹介するつもりである。下記に紹介するビデオは、手話で生活する人びとについてもっと知るための良いきっかけになるだろう。</p>
<p><object><embed src="http://www.youtube.com/v/fB1ml9Ifp6I&#038;hl=en&#038;fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>
<p><a href="http://mx.youtube.com/watch?v=fB1ml9Ifp6I">最初のビデオ</a>は、アルゼンチンの「物語を語る手」（Manos Cuenteras）からである。「物語を語る手」は、アルゼンチンの聴覚障害者の日に来場者にアルゼンチンの手話とスペイン語の字幕を使って、聴覚障害の子ども向けの手話の物語の本がもうすぐ発売されると語った。この<a href="http://mx.youtube.com/watch?v=NtDy7Id9B50">スペイン語のテレビ映像カット</a>のスレッドでは、鷲の翼に乗ってやハリー・ポッター、ロミオとジュリエットなど多くのベストセラーや古典本をスペイン語の手話に翻訳した人びとの団体を紹介し、ユーチューブのユーザーは、書き言葉が日常会話で使用される言語と非常に異なるため、いかに聴覚障害の人びとにとって書き言葉を読むことが難しいかを説明している。</p>
<p>手話は万国共通ではなく、話し言語とは無関係である。ほとんどの国で独自の手話が使用され、時には、イギリスとアメリカの例で見られるよう、同じ話し言葉を使用しているにも関らず手話は全く異なる場合もある。手話に関するより詳しい情報は<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Sign_language">こちら</a>。<a href="http://mx.youtube.com/watch?v=2XZBxGrgyvA">このビデオでは</a>、ユーチューブのユーザー、Merfgktが英語で、一般的なアメリカの手話の歴史と聴覚障害者コミュニティーについて簡単に紹介している。</p>
<p><object><embed src="http://www.youtube.com/v/2XZBxGrgyvA&#038;hl=en&#038;fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>
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		<title>ロシア: ブログに対するさまざまな意見</title>
		<link>http://jp.globalvoicesonline.org/2007/08/16/30/</link>
		<comments>http://jp.globalvoicesonline.org/2007/08/16/30/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 16 Aug 2007 03:55:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kayoko Oyama</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウェブログ]]></category>
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		<description><![CDATA[最近の新聞のインタビューで、作家のドミトリー・ブイコフ はブロガーについて次のように語っている。

    「LiveJournal（ライブジャーナル）やその他のブログを持っている人は皆明らかに精神異常のある人間だ。」

ギャラリーオーナーのマラット・グエルマン(ライブジャーナルユーザー名:galerist)は自身のブログで、ブイコフの辛らつな意見について次のように答えている。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<em> &middot; 翻訳： <a href='http://jp.globalvoicesonline.org/author/kayoko-oyama/'>Kayoko Oyama</a> &middot;  <a href='http://www.globalvoicesonline.org/2007/08/13/russia-views-on-blogging/'>原文を見る</a></em> 
<br /><p>最近の新聞のインタビューで、<a href="http://context.themoscowtimes.com/stories/2006/04/14/101.html">作家のドミトリー・ブイコフ</a> はブロガーについて次のように語っている。<a href="http://pics.livejournal.com/good_boy/pic/000t1a6f">(原文記事の画像)</a></p>
<blockquote><p><a href="http://www.livejournal.com/">LiveJournal（ライブジャーナル）</a>やその他のブログを持っている人は皆明らかに精神異常のある人間だ。</p></blockquote>
<p>ギャラリーオーナーのマラット・グエルマン (ライブジャーナルユーザー名:<em>galerist</em>)は自身のブログで、ブイコフの辛らつな意見について<a href="http://galerist.livejournal.com/764004.html">次のように答えている。</a>(原文:ロシア語)</p>
<blockquote><p>[前略]</p>
<p>インターネット以前の時代に日記、それも大衆の目に触れることを想定して書かれた日記がなかったと言えるだろうか？私の場合、いつの時もフィクションより日記を読むほうがずっと面白いものだった。 日記や書簡集のことだ。1970年代後半、私は多くの日記を読んだ。何冊も。私は作家たちの日記を読むことで、学生時代にひどく苦しめられた&#8221;古典文学&#8221;と和解した。トルストイの日記(「戦争と平和」ではなくね)が私をすっかり変えてくれた。誰かの日記を読むことはいつの時代でも特別な楽しみであった。そして誰かが読むように日記をわざと机に置き忘れていくことも。</p>
<p>日記に真実味があるのかって？ ライブジャーナルの友達ページの日記の内容は、ちょっとした文学作品よりも生々しい。 それは演劇でいう「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0">スタニスラフスキー・システム</a>」 や「自然に人生を演じる」リアリズムではない。しかしそれが人生そのものだ。 そこには伏線もなく、文学的表現や美辞麗句もない。</p>
<p>Eメールによる文通の復活、ブログによる日記の復活というのは、文学の発展において最も大事な要素である。なぜなら、それらが携帯メールポエムのような全く新しいジャンルの文学ではなく、古代からある文学ジャンルだからである。</p>
<p>[後略]</p></blockquote>
<p>以下はこの投稿に対するコメントである。ブログとは何かについてさらに多くの意見が出されている。</p>
<blockquote><p><em>imperator_wawa</em>:</p>
<p>この意見に賛成です。ライブジャーナルはいろんな意味でもっと広いものだと思います。日記や回想録もいつの時代もずっと面白いものです。それはやはり真実味があるし、筆者や筆者の人生を目にすることができる。そして筆者自身の視点で見ることができるからです。 [後略]</p>
<p><em>pavel_zhagun</em>:</p>
<p>今考えていることや出来事を他の人が読めるように書き留めておく機会を求めることは、最も原始的な人間の欲求です。それは子供時代から根付いていて、フェンスや壁に文字を書き付けたりする行為も同じ性質のものです。既に文化的で完成された物語である「日記」は、隠されていることで「秘密」や「謎」を暗示するのです。その点が読者を他のどの文学的試みよりも惹きつけるのです。</p>
<p><em>warsh</em>:</p>
<p>日記っていうのは自分のノートやハードドライブにとっておくべきものだろう。ライブジャーナルはマスメディアなんだ。</p>
<p><em>iguanart</em>:</p>
<p>プーシキンの時代の「アルバム日記」っていうのはどうだろう？他人のアルバムの「スレッド」に詩の一節やスケッチの形であしあとを残すっていうのは？スキャンして、ライブジャーナルに載せるだけだよ。</p>
<p><em>rikrok</em>:</p>
<p>私もちょうどライブジャーナルとは何なのかを考えていました。そしてわかったのは、これはいわゆるコミュニケーションの新しい形のひとつなんだということです。そして、まったく新しいものに対して多くの人々が取る反応というのは拒否反応なのです。 ライブジャーナルを通して友達を作るのはすばらしいことだと思います。自分と同じような考えを持った人を見つけることは大事なことですが、日常生活の中でどうやって見つけられるでしょうか？「みんな！僕はこういうものに興味があって、こういうことを考えてるんだけど。ちょっと聞いてる!?」なんて仕事場などで叫ぶことはしないでしょう。</p>
<p>もちろん、病的なほどのインターネット中毒は問題があるでしょう。そういう意味では、この投稿を呼んでいる全員が正常な人間ではないでしょうね。でもこの熱狂的な共同体はもう何者でも止められないと思います。</p>
<p><em>mdovzhenko</em>:</p>
<p>普通の日記の場合、筆者は未来のまだ見ぬ読者と会話をし、答えを期待することもない。それに日記のうちの一部だけが文学作品となる。ライブジャーナルはただのインターネットチャットで、その会話の記録が「日記」として保存されているだけだ。 この2つには何の共通点もない。</p>
<p><em>buches</em>:</p>
<p>イラリオノフの意見は悪くないと思うね。今日のライブジャーナルは昔でいう台所のおしゃべりだってさ。[編集者注:<a href="http://apps.carleton.edu/curricular/russ/news/?story_id=204632">“ソビエト時代、台所はプライバシーが保てる代表的な場所だった。&#8221;台所でのおしゃべり&#8221;は抑圧的な全体主義体制に対する消極的な抗議行動となった。”</a>]</p></blockquote>
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		<title>イスラエル：ハリー・ポッターは安息日を守らない？</title>
		<link>http://jp.globalvoicesonline.org/2007/07/23/13/</link>
		<comments>http://jp.globalvoicesonline.org/2007/07/23/13/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 23 Jul 2007 14:53:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hanako Tokita</dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラエル]]></category>
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		<category><![CDATA[宗教]]></category>
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		<description><![CDATA[世界同時に行われた『ハリー・ポッターと死の秘宝』の発売が、イスラエルの法律でほとんどの事業所が休業することが定めらたユダヤ教安息日中である、イスラエル時間午前２時０１分に開始された。それにもかかわらず、イスラエルで最大の書店チェーンSteimatzkyは、定められた時刻に本の発売を開始し、テルアビブ港で催し物を開催した。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<em> &middot; 翻訳： <a href='http://jp.globalvoicesonline.org/author/hanako-tokita/'>Hanako Tokita</a> &middot;  <a href='http://www.globalvoicesonline.org/2007/07/21/israel-harry-potter-does-not-observe-the-sabbath/'>原文を見る</a></em> 
<br /><p>世界同時に行われた<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%A8%E6%AD%BB%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AE%9D">『ハリー・ポッターと死の秘宝』</a>の発売が、イスラエルの法律で事業所が休業することが定めらたユダヤ教安息日中である、イスラエル時間午前２時０１分に開始された。それにもかかわらず、イスラエルで最大の書店チェーンSteimatzkyは、定められた時刻に本の発売を開始し、テルアビブ港で催し物を開催した。エリ・イシャイ通商産業労働大臣はイスラエルの主要書店に対し、ハリー・ポッター最新版の販売を安息日中には開始せず、安息日の終わりまで延期するよう求めていた。彼は、労働時間を定める基本的なイスラエルの法律に違反する店に罰金を科し起訴するつもりであるとしている。</p>
<p>Steimatzkyは、予定されていたとおりイベントを開催し、昨夜遅くに何千人もの待ちきれないファンを集めた。イスラエルの法律では、安息日にイスラエル人労働者が働くことを禁じている。しかし実際には、安息日に開店し完全営業をする会社が増えている。罰金が科されても、安休息の日とされている日に営業し続けると大きな利益が得られる。しかし、多くの人びとが信じているのとは対照的に、この法律の目的は単に宗教的なのではなく、従業員を上司から守るという、社会的な意図も含んでいる。立法者は、非宗教的であろうと宗教的であろうと、すべての従業員に一週間に一日家族と過ごすための休息日の権利を与える重要性を感じていた。しかし、この様な競争が激しく資本主義的な環境では、週末レジャーへの高い需要があれば、強制的な罰金によって金銭的損失があったとしても、市場動向には適っている。全体的な利益は大抵その損失を上回る。</p>
<p>ある<a href="http://hayom.tapuz.co.il/blog/ViewEntry.asp?EntryId=1039505">イスラエル人ブロガー</a>は、この法律の複雑さについて述べている：</p>
<blockquote><p> この国で一部の問題がどう扱われているかについては、年を追って宗教的な市民と非宗教的な市民との間で複雑な意見の相違が持ち上がっているのは秘密ではなく、安息日の話は特に難しいものだ。イスラエルの法律は安息日を休息の日と定め、その期間中に企業体が営業することをはっきりと禁じている。実際には、この法律はほとんど守られていない。今、何が起こっているか見てみるといい。土曜日に営業している会社はどんどん増えているし、ショッピングセンターや他の商業地区は支障なく営業していてる。その結果、大きなチェーン店舗と、土曜日に従業員を雇う余裕のないために多くの損失を負う（そして罰金を負う）小規模の個人経営の店との間で激しい競争が起きている。</p>
<p>こんな選択的なやり方でこの法律を施行して適当なのだろうか？ - 土曜日にハリー・ポッターを売る書店に罰金を科して何か解決されるのか？これで実際に安息日の面子が守られるのか？なぜ大臣はこの特定の時を選び、スーパーヒーローのように振舞い罪人から安息日の面子を守ろうとするのか？毎週土曜日に大勢のイスラエル人がショッピングモールに集まる時、エリ・イシャイとラビツはどこにいるのだろうか？法律をきちんと施行する時なのか、または不干渉を続ける時なのか？</p>
<p>もし売られている本が宗教的信仰を公然と批判したものでなかったとしたら、大臣は同じように反応したのかと、それでも私は思う。偽善行為に際限はないのか？</p></blockquote>
<p>下の写真は、土曜日の朝に本を買おうと興奮したファン数千人を集めたイベントの会場に飾られていたポスターのうちの一枚。</p>
<p><a href="http://www.flickr.com/photos/giladlotan/861825837/" title="Photo Sharing"><img src="http://farm2.static.flickr.com/1135/861825837_78c32dbdeb_m.jpg" alt="Harry Potter sales event during Sabbath in the Tel Aviv port" height="240" width="159" /></a></p>
<p>原文：<a href="http://www.globalvoicesonline.org/author/gilad-lotan/">Gilad Lotan</a></p>
]]></content:encoded>
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